dreamlike occurrence.





<4>





その日の夏期講習はサイアクだった。講義の内容は何も耳に入らないし、悪いことに、冷房が故障だとかで教室全体が蒸し風呂のようで、イライラし通しだった。
お茶して帰ろうという友人を振り切って、真っ直ぐに家に帰り、誰もいない広いリビングでひとり思い巡らせた。
楽しみだった18歳の誕生日。
もはやひとりぼっちで過ごすことになろうとは思っても見なかった。

楽しそうにおれを誘ってくれた優の笑顔が、ちらついて離れない。
謝らなきゃな・・・
そして、落ち着いたら話を聞いてもらおう。いつものおれらしく、笑って冗談で済ますことができるようになったら。
きっと優のことだ。何かあったのだろうと事情を察してはいるだろう。
それを承知で、本人不在でも祝ってくれているんだろう。
それなら、おれもうじうじしていないで、ひとりでパーッと盛り上がろう。
ちょうど、りかのワインもあることだし・・・

誕生日に失恋記念。
おれらしくていいかもしれない。きっと思い出の18歳のバースデーになる。
何年かしたら、笑い飛ばして、酒の席にネタにでもなるかもしれないし!

オヤジが大切にしているマイセンクリスタルのシャンパングラスを棚から出そうとした時だった。
インターホンが鳴った。
「ったく、誰だっつうの!」
何も考えず、相手が誰だかも確認せず、おれはドアを開けてしまった。
「はいはい、どちら―――」
「やっぱりおるやん。何してんねん!」
声だけでわかる。聞きなれた関西弁。
おれはとっさにドアをしめようとしたが、崎山がドアをガシッと掴んで半身を玄関に滑り込ませる。それでもおれは強引にドアを引っ張った。
「イタタタッ、痛いっちゅうねん!ヤメロって!」
「なら帰れよ!何しに来たんだよ!おれはあんたに用事なんてないからっ!」
不意の訪問に心の準備もできていない状態で会いたくなんてない。
「帰らへんよ!何でウソついたかおまえの口から聞くまではここを動かん!アタタタタ―――」
鈍い音がして、何ともいえない呻き声が聞こえ、おれは咄嗟に力を緩めた。
「っつうッ」
ドアの抵抗がなくなった崎山は、額を押さえて蹲った。頭を動かした際にドアに打ちつけたらしい。
「だっ、大丈夫かっ?」
同じようにしゃがみこみ、手で押さえる額を覗きこむと、崎山が顔を上げた。
痛みを堪えるしかめっ面に、思わず額に手を伸ばし、擦る手を剥がすと、運悪くドアの角が当たったようで、切れて血が滲んでいた。
昔から血というものに弱いおれは、それだけで泣きそうになった。
「と、とりあえず、中、入って」
震える声でリビングへと引っ張り上げると、ソファに座らせ、救急箱を探す。
混乱する頭でやっと在りかを思い出した時、すでに出血は止まっていたけれど、山のように赤く染まったティッシュが残されていた。
長めの髪をかき上げ、コットンに消毒液をしみこませてキズにあてると、染みるのだろう、キュッと眉根を寄せた。
化膿止めの軟膏を塗り、ガーゼをテープで固定し、ほっと息をついた時、視線を感じ目を向けると、至近距離に端正な顔を発見し、ざわざわと胸が騒ぎ出した。
夢中で何も感じなかったけれど、こんな近くで見つめられるのも、憎たらしいほど整った顔にふれるのも初めてだったんだと今さらながら気付いた。
射すような視線が痛くて、視線を逸らす。リビングに置かれている、父親自慢のアンティーク時計の、秒を刻む音がやけに大きく聞こえ、自分の家なのに居心地の悪さを感じ、部屋を飛び出したい衝動に駆られた。
それでも、何をどう言っていいのかわからなくて、崎山の前から離れることもできなくて・・・
その場に縫い付けられたように動けず、押し寄せる混沌とした感情に支配されていた。
「なんでウソなんかついたん?」
ソファにすわったままの崎山は、その足元の床に膝をついて座り込んだおれを見下ろしていた。
「ウ、ウソなんかついてない。ただ急に・・・予定が変わっただけ―――」
「アホ言え。昨日優くんがりかちゃんに会ったそうやないか!」
そうか、もうバレてるんだ・・・
大きなため息が聞こえた。
そこには明らかに、呆れ果てたといわんばかりの感情が含まれていた。

もう会わないとか、忘れるとか、自分で決めたくせに、こいつの一挙一動に心は乱され、否が応でもこいつのことがまだ好きなんだと自覚させられた。
崎山に、合わせる顔もなくて、おれはただ磨かれたフローリングの床の、木目を見つめていた。
しばらくの沈黙の後、崎山が搾り出すような声で言った。
「おれ・・・おまえに何かした・・・?」
崎山らしからぬ小さな、それでもはっきりした声に、おれが反射的に顔を上げると、今まで見たことのないような、悲しげな目でおれを見つめていた。
おれは・・・その目から逃れられなかった。
「ケータイもつながらん。せやけど、優くんからおまえが忙しくしてるって聞いたから、我慢しようと思った」
我慢・・・?
「誕生日には思いっきり遊べる・・・そう思たから。けどそれもパァになってもうた。それでも、理由が理由やししゃあない。そう自分に言い聞かせた。それが・・・ウソやなんて思ってもみんかったわ」
一言一言が胸を抉るようにおれを苦しめる。
おれを責めるのではなく、まるで自分に言い聞かせているかのような崎山の口調と、自嘲を含んだ悲しげな瞳に、おれは雁字搦めになり、言うべき言葉も見つけられず、ただ石のように動けずにいた。
「友樹はそんなウソをつくコやないのは、おれよう知っとる。そんなウソをつかせたんは、優くんでも三上でもない。きっと・・・おれなんやな・・・」
ドクンと心が大きく揺れた。
崎山は大きく息を吸い目を閉じると、ゆっくり息を吐きながら瞼を開き、おもむろに立ちかがると、おれの横に膝をついた。
そして先ほどとは打って変わって、にっこり笑った。

「ごめんな。誕生会ぶち壊しといて、こんなとこまで追っかけてきてしもて。おれは友樹の誕生日をめっちゃ楽しみにしてたから・・・おれがそうやからって、友樹まで同じキモチやとは限らへんのにな」
同じ目線から真っ直ぐ見つめられ、一体おれはどんな顔をしているのだろう。
すうっと手が伸びてきて、おれの頭をくしゃりと撫でる。
「優くんやら待ってるから、行っといで。場所知ってるやろ?」
「な・・・んで・・・・・・」
「みんな友樹が好きやから、18歳の誕生日祝いたいって心から思てるねん。せやし・・・行っといて?」
頭からぬくもりが離れると、崎山は立ち上がった。
なんでこうなるんだ・・・?
どうにもこうにも、崎山に会いたくないというおれの勝手なワガママで、まるでおれがこいつを傷つけたみたいじゃないか!
おれが加害者で、こいつは被害者?
優しくされ、理解あるそぶりを見せられ、何だかおれだけがコドモみたいじゃん!
そう思い始めると、じわじわと何かがおれの中で沸きあがってきた。








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